新エヴァ、あるいはもう一つのゲーム的リアリズム。

例えば、1stガンダムから逆シャアに至るアムロみたいに、実世界(作者・読者)の年月経過と一緒に作中の人物も歳を取って成長していった、っていう話はよくある。というか、これが普通のビルドゥングス・ロマン。
しかしこれに比べるとエヴァンゲリオンにおける碇シンジは、作中での年齢は据え置かれたままなのに、この10年間の外部媒体*1の影響を受けて人間的内面が図らずも成長してしまった。
主人公の成長原理が作品の外部(!)に存在しているというのは、改めて考えてみると実は物凄いんじゃないか。追加設定がガンダム本編を補完していったMSVなんかが、比較的これに近いだろうか。でも、制作側の心境変化や消費者からの直接的反応だけに限らない、不特定多数による影響を主人公の人格が断続的に受けたという点で、やはりシンジの例は特異だ。
同様に、新エヴァでも貞本版でもフィギュアその他の関連商品でも、10年前に比べると綾波の頭身が明らかに上がっている*2。外部メディアの「成長するシンジ」像がオフィシャルに取り込まれたように、この10年間で(同人誌その他によって)世の中に溢れた「ナイスバディの綾波」像*3が、制作側に強く影響を与えたのかもしれない。
イデア界にまします「萌えデータベース」が上書きされたということだろうか。

*1:貞本版や各同人誌などの漫画、鋼ガルやスパロボなどのゲーム、その他オタク文化の潮流やそれを取り巻く状況の変化など。特に一時期のスパロボエヴァシナリオなんかは、「エヴァ補完計画」の様相を呈していた。

*2:こないだ久々にTV版を見てみたら、綾波の頭身が低すぎて物凄く違和感を覚えた。パッと見ロリキャラに見えたほど。どうやら頭の中のデフォルト綾波像が、いつの間にか『一騎当千』の呂蒙あたりにセットされていたらしい。

*3:その極北がご存知「モグ波」。また、綾波の二次創作だけに限らず、後続の綾波系キャラの影響もあるだろう。