そなたこそ、万夫不当のピザよ!

 『琱玉集』巻14「肥人篇」所引、王隠『晋書』より。(標点・訳は犬童による。)

[原文]
  孟業,晉時幽州刺史也。爲人大肥,下官還京。晉武帝意欲稱之,乃作大稱,掛於殿壁。業入見之,曰:「陛下作稱,欲何爲也?」 帝曰:「朕聞人重千斤者吉。朕欲自稱有幾斤。」 業曰:「陛下正欲稱臣耳,無煩聖躬。」 於是稱業,果行千斤。

[訳文]
 孟業は西晋時代の幽州刺史である。その人となりは大層肥えており、職務を終えて都に帰ってくることになった。武帝司馬炎)は業の目方を量ってみたくなり、そこで大きな秤(はかり)を作らせて、御殿の壁に掛けておいた。
 業は入朝してきてこれを見ると、「秤をお作りになられたようですが、何をなさるおつもりでしょうか?」と尋ねた。武帝が「いや、目方が千斤ある者はめでたい、と聞いたのでな。自分が何斤あるのか量ってみたくなったのじゃ」と答えると、業は「陛下は私めをお量りになりたいだけでございましょう。なにも玉体を煩す必要もございますまい!」と言った。
 そこで業の目方を量ってみたところ、果たして千斤(約222kg)に届いたのであった。

 『世説新語』の「容止篇」あたりに載っててもおかしくない話だと思う。

 ……と、ふと思ったけど、これって本当に王隠の『晋書』から引っ張ってきた話なんだろうか?
 王隠は東晋の人だから、ふつう西晋時代のことを指すときは「中朝」「中原」「中国」「西朝」などと呼ぶはず。また、当時はまだ晋朝(東晋)の社稷がバリバリ続いてるんだから、まるで滅びた過去の王朝を指すかのように「晋時」だの「晋武帝」だの書いてるのも、いかにも不自然だ。後世の筆写人による追記か?

 なお、『太平御覧』巻378・巻830所引、裴啓『裴子語林』にも同じ話が載っていて、

  孟業為幽州,其人甚肥,或以為千斤。武帝欲稱之,難其大臣,乃作一大秤挂壁。業入見,武帝曰:「朕欲試自稱,有幾斤?」 業答曰:「陛下正是欲稱臣耳,無煩復勞聖躬。」 於是稱業,果得千斤。

 ここでは晋云々の字は見当たらない(ちなみに裴啓も王隠と同じく東晋の人)。東晋代に書かれた文なら、普通はこういう感じになるはずなんだけどなぁ。